![]() ここ最近、なかなか「更新」作業がままならず、 訪問して頂いた方々、本当に申し訳ありませんでした。 昨年の3/9に、当blogを書き始めました。 本日で、丁度1年になります。 皆さんに支えられて、ここまで来れました。 こんな、つまらない話しを読んで下さって 本当に、ありがとうございます。 自分が登録した時は、5.000人でしたが、 1年後の現在は、180.000人を突破してますね。 スゴイ勢いで、伸びてますね。 当初は、自分の勤務した2年間の話しですから、 まあ、2年ぐらい続けば・・・と、思ってましたが、 この時点で、まだ、1年間の話しを紹介し切れてません。 (まあ、更新が遅いだけなのですが・・・。) ですから、まだまだ続けられそうです。 毎日更新って訳には行きませんが、 これからも、細々と続けてまいりますので、 よろしくお願いします。 今日の画像は、次回の予告です。 明日には、更新しますね。 ※ギャラリーらいとういんぐさん の許可を得て、画像を使用しております。 ▲ by jato114 | 2005-03-08 21:08
![]() 今日は、「成人の日」ですね。 自分のこの記事を、読んで頂いてる方々の中で、 新成人の方がいらっしゃるのであれば、 誠に、おめでとうございます。 前回からの、「忍び寄る・・・」は、後日紹介しましょう。 私の、成人式の想い出なのですが、 当然に、「自衛官」として、成人を迎えました。 (1任期勤務の自分でも、二十歳は自衛隊で迎えました。) 一般に、自衛隊の場合の成人式ですが、 各駐屯地内の、体育館等の施設を利用して、 自衛隊独自に、成人式を行なってる所が多いと思います。 (各市町村で行なう成人式には、出席しないみたいです。) ![]() しかし、自分の勤務してました駐屯地では、 その「市」主催の成人式に、一般の新成人の方と、 市の体育館にて一緒に、成人式を行いました。 そこで、一般の新成人の方から、 ある「言葉」を投げられたのを、記憶してます。 (まあ、からかわれただけです。) (誹謗中傷の部類では、ありません。) まあ、その内容については、 来年の、成人の日に紹介しましょうね。 (じゃないと、来年の今日、書く事無くなりますんで・・。) まずは、新成人の方々、おめでとうございます。 自分の体験談が、全ての自衛隊に当てはまるのでは、無い! と、言う事を重ね重ね、皆様に理解をして頂きたいのです。 職種、駐屯地、部隊毎に、様々です。 ※ギャラリーらいとういんぐさん の許可を得て、画像を使用しております。 「今日のつぶやき」 まあ、制服姿だから、一般の社会人みたいに、 「スーツ代」は、かからなくて良かったね。 ▲ by jato114 | 2005-01-10 19:37
![]() 今日は、 前回までの話しの続きを一旦、置いておきましょう。 当時の、この時期の想い出話しを、一つ話します。 (この時期とは、年明け早々の、今時期を指します。) 以前にお話ししましたが、新卒で、 すぐに入隊して来る隊員を、3.4月隊員と言います。 (自分も、この隊員に当ります。) この3.4月隊員の場合、一等陸士(一士)に昇進するのに、 最短で、9ヶ月間、掛かります。 ですから、年が明けた、この1/1付けで、一士に昇進します。 以前に、 自分が入隊した時に、先に1.2月隊員が入隊してた・・・ と、紹介しましたが、同じく年が明けた1/1付けで、 彼等も自分等と一緒に、一士に昇進します。 (ここから更に1年後には、陸士長となります。) 昇進して、嬉しく無い人は、 どこの社会(会社)にも、正直居ないでしょう。 この時、嬉しかった想い出が、もちろんです。 (だって、腕に「線」が一本増えるんですからね。) ![]() 特に、嬉しかった想い出としては、この日から、 下(二士)の隊員から、「敬礼」される事でしたね。 ・・・・・と、言うのは、 駐屯地内では、自分等の中隊所属のいかんに関らず、 自分より、上席の階級の隊員に対しては、必ず、 すれ違い時には、「敬礼」を行ないます。 (今までは、絶対にする側でしたから・・・ね。) この日から、される側のチームに入ったのですから。 やはり、嬉しいものでした。 とは言っても、まだこの時点では、駐屯地内には、 限られた、二士しか居ませんでしたが・・・。 (秋口の10月に、入隊して来た隊員ぐらいしか・・・・。) 昇進して、嬉しいんだけど、 「階級章」の付け直しが、面倒なのね・・・! 針仕事がね。 自分の体験談が、全ての自衛隊に当てはまるのでは、無い! と、言う事を重ね重ね、皆様に理解をして頂きたいのです。 職種、駐屯地、部隊毎に、様々です。 ※ギャラリーらいとういんぐさん の許可を得て、画像を使用しております。 「今日のつぶやき」 現実は、いくら昇進して、一等兵になっても、 中隊じゃ、下っ端のまんまで、変わり無しよ。 また明日から、「お茶汲み」よ。 トホホ! ▲ by jato114 | 2005-01-06 21:41
![]() 今日は何気に、ふと、思い出した事を書きます。 世間一般には、この時期、クリスマスですよね。 営外者は別として、営内者には、 確か、「ケーキ」が配られてた記憶があります。 (もちろん、ショートケーキですが。) (出入り業者用のコンテナに入ってて、配ってましたね。) 自分自身、2年間(1任期)の中で、 当然に、2回は経験してるハズです。 世間一般の、家庭で行なわれてる行事ごとですが、 こと、自衛隊の中でも、ささやかながらではありますが、 営内者を対象に、行なってましたね。 (多分、何処の駐屯地でも、行なってる・・・・と、思います。) でも、返って、「空しさ」もありましたよ。 あの当時はね。 (家庭持ちは、必ず「家」に直帰しますし。) 今日は、ほんの「つぶやき」でした。 自分の体験談が、全ての自衛隊に当てはまるのでは、無い! と、言う事を重ね重ね、皆様に理解をして頂きたいのです。 職種、駐屯地、部隊毎に、様々です。 ※ギャラリーらいとういんぐさん の許可を得て、画像を使用しております。 「今日のつぶやき」 一年で、「バレンタインデー」と「クリスマス」ほど、 つまらない日は、なかったね。 あの会社(自衛隊)では。 当時、マジで、そう思いました。 ▲ by jato114 | 2004-12-26 19:58
![]() 我等、与えられた業務をキチントこなして、 小千谷市役所を出発しました。 出発の際に職員の方から、道路に関してのアドバイスが。 「帰りは、どの道を通りますか?」 「あんまり変な道を通ると、突然、陥没とかしますから・・・。」 「気をつけて。」 (思わず、マジですか?・・・・と、聞きました。) 正直、初めて走る土地であり、道路ですから、 そのまま来た道を戻るのが、いいんでしょうが、 また、あの渋滞を考えると、ゾッとします。 (県道10号線を一本で、R8号に出て、長岡ICまで。) 来る時とは、全く異なる道路でした。 繁華街の町明かりが、遠くに見えました。 周囲の状況は、街灯と車のライト越しでしか確認出来ません。 (遠くに、R17号沿線の車列が、確認出来ました。) あまり、信号の無い道路でした。 一つの集落があり、しばらく行くと、また集落・・、 って、感じの道路でした。 道路については、所々、路肩が落ちてました。 (道路の両側は、水田です。) ライト越しに見える、集落の様子ですが、 家の外壁が崩れている家も、多数ありますし、 墓地においては、墓石が無残にも崩れてました。 (これって、檀家は、どうすんのかな?・・・と。) 反面、勇気付けられた面も、ありました。 途中の集落では、道路の沿線沿いに、 「全国の皆さん、暖かいご支援、ありがとう。 」 「小千谷市民は、決して、あきらめません。 」 「小千谷市民は、がんばります。 」 ○○地区 と! (阪神大震災で、がんばろう神戸を掲げたように・・・。) (本当に市民の方々が、がんばってる様子が・・・・。) 徐々に、長岡市内に近づくにつれて、 危険を促す、道路上のパイロンが少なくなりました。 長岡ICより高速道にて、無事に深夜の帰宅をしました。 私の場合、被災地の一部分を、通過しただけにありませんし、 実際に、避難所で非難生活をされている方々も、見てません。 しかし、被災地の現状を目にする事が出来ました。 (ピーク時よりは、大分、少なくなったようです。) 各市役所の職員の方々や、ボランティアの方々、 地域の方々、そして、各県から派遣されて来てる 様々な職種の方々・・・・そして、自衛隊の方々。 皆さんの「がんばり」が、肌で感じられました。 (本当に、短い滞在でしたが、よく分かりました。) ![]() この画像は、小千谷市内の道路の一部です。 地震で、道路が沈み、マンホールが浮き上がってます。 場所に寄っては、「腰」ぐらいまで、 せり上がってる箇所もあるそうです。 工事中で、ただ置いてある訳では無いそうです。 (画像提供、hide氏より。) (あなたの頑張りが、復興の手助けになってますよ。) 自衛隊の方々へ。 普段、あまりその活動内容が明らかにされてませんが、 こういった「災害」時、本当に頼りになる存在なのですよ。 天災ゆえに、終わりが分からないですが、 皆さんが、その活躍に期待してます。 がんばって下さいね。 以下、自分なりに勝手な解釈ですが・・・・。 お金に余裕がある方なら、お金を。 お金は無いが、時間がある方なら、時間を。 お金も、時間も両方無い方は、現状の理解を。 してあげて頂きたいな・・・と、思います。 (自分なりに、そう感じました。) 今日現在、まだ余震が続いてます。 本当に、安心して暮らせる日が、一日も早く参ります様に。 これで、最近の出来事の報告の、「結び」とします。 ▲ by jato114 | 2004-11-09 21:53
![]() 小千谷市役所に着いて、まず、驚いたのは、 その「マスコミ」の数の多さには、圧巻されました。 (いかにこの地が、震災被害を受けたかが、占えます。) 新潟県内の民放から、国営放送局までが詰めてました。 そのほとんどが、いつでも生中継出来る様に、 全ての車が、中継車でした。 (発電機を使用して、照明等、色々してました。) 市役所の庁舎正面に、来庁者のための駐車場があります。 そのほとんどが、マスコミの中継車で占領されてます。 一般の来庁者の方は、ほんの一部分を使用してました。 (正直、私もスペースを探すのに、グルグルと2周しましたよ。) それに反して、市役所庁舎の、脇の広場には、 自衛隊車両が、ズラリと、陣取ってました。 ジープ、トラック、KP車両・・・など。 (自分的には、どうも、こちらに目が行ってしまいます。) マスコミ関係の、中継車周辺には、実に数多くの、 仮設トイレが、設置されてました。 誰が利用しても、いい様に設置されてるのでしょうが、 実際は、マスコミ用に・・・との、印象を受けました。 (なんせ、スタッフが数多かったですからね。) (正直、市役所のトイレだけでは、パンクでしょうから。) 一方、自衛隊車両に目を移しますと、どの車両にも、 「災害派遣 」の文字が書かれた、白い布を付けてます。 そこには、自分達の所属も一緒に、記載されてます。 (全ての車両に、掲げます。) (実は、私も経験がありまして、後で、紹介します。) 私の見掛けた、自衛隊車両だけで判断しますと、 各方面(各県)から、実に様々な部隊が、この被災地へと、 数多く派遣された印象を受けました。 (各方面隊、師団等・・・の、枠組みを超えた感じでした。) 長岡市役所同様に、ここ、小千谷市役所の入口でも、 職員の方々が、各対応に当たってられました。 市役所庁舎も、外見からはしっかりとした印象ですが、 内部の様子は、アチコチに震災の傷跡が、見られました。 私の受けた印象ですが、もう市役所全体が、 一つの大きな、災害対策本部 の様な感じがしました。 我等がよく利用する、住民票や戸籍などの窓口業務や、 税金関係の窓口は、キチンと機能してるのかな?・・・と。 周囲では、まだ、自衛隊車両が出入りしており、 上空では、もう真っ暗だと云うのに、 ヘリコプターが数機、飛行してました。 長岡市同様、ここでも約30分程の滞在時間でしたが、 小千谷市役所を出発しました。 以下、次号へ・・。 ▲ by jato114 | 2004-11-07 21:17
![]() 小千谷市へは、当初、高速道を予定してましたが、 例の、自然ダムの非難勧告のため、断念し、 一般国道を利用して、行く事となりました。 (通行手形を持ってしても、駄目でしたから。) (自衛隊車両でも、STOPでしたからね。) 小千谷市へは、高速のICからは楽なのですが、 一般国道を利用となると、チョット、分かりづらいです。 隣市なので、通常なら30~40分らしいのですが、 丁度、夕刻のラッシュと、雨と、迂回路など・・・・で、 1時間弱ほど掛かりました。 (R17経由、県道117号線で行きました。) (周囲は、もう、暗くなり始めてます。) 長岡市を出発して、いよいよ小千谷市へ入ると、 自分の走る道路が、アチコチ、壊れてました。 マンホールは隆起し、路肩は崩れてる箇所が・・・。 全て、応急の補修がなされてます。 (走行するには、影響ありませんでした。) R17沿いから、道路の案内板を見ると、途中途中に 案内板が、山古志村方向を示してます。 もちろん、その道路の各入口には、警官とパトカーがいます。 (内心、一躍有名になった山古志村かぁ~・・・と。) コンビニや、商店の明かりは灯ってましたから、 電気の復旧は、進んでるのでしょうね。 水道、ガス等の工事車両が、アチコチにありました。 (都市ガスよりは、プロパンが早いのかな?・・と。) 渋滞にハマリながら、どんどんと市内へと入ります。 すると、アチコチにブルーシートが掛けられてます。 倒壊した家屋や寸前の物、崩れた石垣・・・・。 (いかに、震度が大きかったかが分かります。) (崩れた石垣の所に、人が居なくてよかったですよ。) 周囲は、もう十分に、真暗くなりました。 街頭と、車のライト等で照らされた市内の広場では、 テント生活をされている、方々の姿が見られます。 (屋外にて、数人で、調理をされてました。) 市役所を目指して、車を走らせてたのですが、 何分、初めての土地ですし、夜間に雨と来てます。 途中間違って、工業団地へと入ってしまいました。 (三洋電子・・・・なんて、なってたな?) しかし、その工業団地内の広場では、 仮設住宅の設置が、急ピッチで行われてました。 (クレーンのライト一つで、やってましたよ。) 渋滞にハマリながらも、少しずつは、動いてます。 とにかく、道路の応急処置の形跡が多かったです。 物資の輸送などを考えれば、道路の確保は必須です。 (走る道路の、そのほとんどに、危険を示すパイロンが。) 対向して来るその車の、数台の内のほとんどが、 何らかの作業に従事するための、作業車でした。 また、途中のコンビニや、ほか弁当店にも数台見られます。 作業員の方々の姿が、アチコチに見られます。 (不眠不休の復興作業には、力強さを感じました。) 市内の中心部に、入って来た証なのか、 「ジャスコ」なる、大型店舗が近くなりました。 まあ、こうこうと、明かりがついてました。 (電気については、かなり復旧してますね。) どうにか、目指す市役所にたどり着きました。 建物は、よくTV中継されてた、そのままでした。 しかし、その周辺は、物々しいモノでした。 先程の、長岡市とは比べ物にはならないくらいに・・・。 以下、次号へ・・。 ▲ by jato114 | 2004-11-06 23:40
![]() ここ最近、仕事が忙しくて、「更新」作業がままならず、 訪問して頂いた方々、本当に申し訳ありませんでした。 少し時間が出来ましたので、チョット報告しておきます。 つい2日前の11/4に、新潟県中越地震の被災地である、 「長岡市」と「小千谷市」に、仕事で行って来ました。 (TVのブラウン管越しでは無く、一部分ですが、自分の目で。) blogにて、「自衛隊」の事を書いてるからといって、 その活動内容を見に行く・・・・とかの、 冷やかしなどで、被災地を訪れたのでも、ありません。 もちろん、「自衛隊OB」として活動・・・でも、ありません。 (被災された方々への、救援物資・・の部分で、です。) 当日の朝、午前8時57分頃ですが、 余震とみられる、震度5強の強い地震がありました。 これから、自分が行こうとしている、小千谷市でも 震度5弱を記録してました。 (今日行くのは、無理か?・・・・と。) 出発が午後からでしたから、何とか 「高速道」の通行止めも解除され、被災地へと。 関越道は、長岡ICから先は、通行止めでした。 (我等、緊急自動車の許可を受けて行きました。) (まあ、その先も、許可証掲示で行けるのですが・・。) 長岡~小千谷間も、高速道にて行くつもりだったのですが、 その日の午後、15時から緊急自動車さえも 通行規制となりました。 (自然ダムの絡みで、避難勧告が出された様でした。) (自衛隊車両でさえも、ストップされてました。) (昨日11/5に、通行止め解除されましたね。) 高速道の流れも、普段と同じ速度で走行出来ました。 私が、「長岡市」入りしたのは、夕方16時以降でした。 市役所には、自衛隊の緊急車両として、ジープがあり、 更に、災害の防災指揮車が待機してました。 (あまり、物々しい感じは受けませんでした。) (市内よりも、山間部の被害なのでしょうね。) 17時過ぎに長岡市を出て、隣市の小千谷市へと・・。 以下、次号へ・・。 ▲ by jato114 | 2004-11-06 15:44
![]() 訪問して頂いてる、皆様へ。 ここ最近、何かと、忙しい日々を送っております。 更新もままならず、申し訳ありません。 今後とも、暖かく支えて頂きたく、お願い申し上げます。 時間を見つけては、更新作業を続けて行きますので。 ▲ by jato114 | 2004-11-03 07:42
![]() 今後、話しを進めて行く上で、 全体の背景が分かる様に、「あらすじ」を紹介して置きます。 まずは、私が配属となる「連隊」の方から紹介しましょう。 私の所属する、第○○普通科連隊ですが、 この県に配置されてる、唯一の普通科連隊でした。 (現在は再編されて、もう1個普通科連隊が配置されてます。) その当時、精強な部隊と言われてまして、 必ず毎月一回は、演習(野営訓練)を行なってましたし、 様々な競技会(射撃など)では、必ず、上位入賞してました。 (小銃や迫撃砲、銃剣道・・・色々あります。) そんな連隊を構成してる、重迫撃砲中隊に配属されました。 この中隊の任務等は、以前に紹介しましたので、省略します。 当時の装備は、107ミリ重迫撃砲を使用してました。 (現在は、120ミリへと、変更されてます。) ![]() 自分の自衛隊勤務は、1任期(2年間)ですので、 前・後期の教育期間を除けば、実質、1年半の中隊勤務です。 たった1年半の勤務でしたが、密度は濃かったです。 それも、そのハズ。下積みの部分の中隊勤務でしたから。 (もう2年勤務すれば、大いばりでしたが・・・。) これから紹介する内容ですが、大きく分類しますと 以下の通りです。 ●勤務内容の紹介(訓練や演習、特別勤務内容など・・・・) ●営内班での出来事(先輩・後輩の関係など・・・) ●外出先での出来事(教えてもらった、大人の世界など) 1任期(2年間)中、1年半の中隊勤務でしたが、 2任期(4年間)勤務された先輩でも、 行けなかった勤務なども経験しました。 (これで、自動車免許でも取れれば、最高だったんですが。) ※ギャラリーらいとういんぐさん の許可を得て、画像を使用しております。 「今日のつぶやき」 以前に紹介した「今井雅之」さんの話し、覚えてます? それで、これからの「話し」を占えますよ。 ▲ by jato114 | 2004-10-23 20:42
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blog内容
「元、陸自隊員」の体験記です。 現役隊員の方々には、古い話しですが、 同時期に、同じ経験をした方々の 「同窓会」的な、ブログでもあります。 画像は、「最新装備」です。 ギャラリーらいとういんぐ さん の許可のもとに、 使用させて頂いております。 「前・後期教育」の教育期間を終了し、話しの舞台は、移ります。 いよいよ、一般部隊(中隊)配属となりました。 配属は、 普通科連隊、 重迫撃砲中隊です。 現在は、120Mですが、 当時は、107Mでした。 そこで繰り広げられる、 様々な人間模様。 先輩・後輩の微妙な関係や、 新兵としての 「下積み」生活。 もう、大変でしたよ。 あの頃の、 陸上自衛隊は。 最近、更新がままならず 大変に申し訳ありません。 最新のコメント
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